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2009年6月28日 (日)

中国の現実  ワイルド・スワン

ワイルド・スワン〈上〉 ワイルド・スワン〈上〉

著者:ユン チアン
販売元:講談社
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中国を舞台に、筆者の母を中心とした家族の物語である。一方で、舞台が戦時中の中国、そして国共の争い、中華人民共和国の成立、文化大革命などを背景としているため、単なる個人の物語というだけではない。ある家族からみた中国の現実を示す本でもある。

ひとことで言うと、「なんともすさまじい」という印象。戦争中の日本、国民党、中国の人民、進入してくるソ連。数多くの登場人物が、それぞれ自らの権益だけのために他の人たちを粗雑に扱い、蹂躙する。それらへのアンチテーゼとして台頭してきたはずの中国共産党。個人の所有権を否定するということは、個人のすべてを共産党にゆだねることであり、それ以外の一切のものを禁じるということであった、という現実。

一人が政府の高官になれば、親族すべてに恩恵が及ぶという現実。収賄なども含め、ひたすら個人の蓄財に励む人たち。共産党の世界になっても結局は同じ道を歩むこととなる現実。これが人間の姿であり、目をそらしてはいけない現実である。そこから何を学んできたか。そしてこれからにどうやって活かすのか。内容の重い本である。(☆☆☆)

2009年6月24日 (水)

成功する採用活動

新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書) 新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)

著者:樋口弘和
販売元:光文社
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社員の採用は投資である。至極当然のことです。しかし、設備や金融商品への投資であれば必ず問われる投資の費用対効果。これが採用においても問われていることを、しばしば失念するものです。

社員を採用するかどうかの評価は何に基づけばよいのか。会社が社員を評価するときに何を基準とするか、を考えると答えは自然と定まるもの。候補者が今まで事実として何をしてきたか、という「事実」を確認すればよい、と主張しています。

候補者の人柄や雰囲気が大切であることは言うまでもありませんが、それ以上のものを評価するとき、しばしば個人の好みがまかり通っています。採用をし、教育をし、活用する。その視点で考えたときに、採用プロセスに改善の余地があるのは事実です。

具体的な応答事例が載せられています。ここだけでも価値があると考えます。(☆)

2009年6月21日 (日)

文明のつながりと発展

比較文明 (UP選書 (243))

著者:伊東 俊太郎
販売元:東京大学出版会
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昔、世界4大文明というものを学習しました。エジプト、インダス、チグリス・ユーフラテス、黄河。その文明が現代までつながっている、という文脈ではなく、ある時代に大きく栄えた文明があった、という程度でした。

現代では西欧文明が中心であり最大であると考える人が多いでしょう。それは古代ギリシア・ローマ時代の文明を継続して引継ぎ、発展させた西欧諸国の文明である、という理解でした。しかし、筆者はそれに異を唱えます。

ギリシアの文明をローマは十分に吸収・発展させることができなかった。埋もれた文明を、イスラムの人たちがラテン語をアラビア語に翻訳し、内容を理解することで、それに加えて自らのものを加えて発展させてきた、と語ります。この主張は2つの内容を持っています。現在の西洋文明にはイスラム文明から引き継いだ成果が多く含まれているということと、過去の西洋諸国は、自らの遅れを自覚し、必死になって発展しているイスラム文明の吸収に努めたということです。

この視点から、西洋とイスラム圏はお互いに影響しあって成り立っていること、文明は過去から学び、新たなものを加味することで更なる発展を遂げることが分かります。ある時代のある特定個人の業績とされているものの中に、先人たちの偉大な成果を発掘しただけ、という場合があることも頭の片隅にとどめておく必要があるでしょう。

西洋を深く理解するためにはイスラムの理解も必要。それを学んだことが大きな収穫です。(☆☆)

2009年6月17日 (水)

解剖学者の生態

鍋のなかの解剖学

著者:藤田 恒夫
販売元:風人社
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解剖学者というものは好奇心が旺盛らしい。アンコウ鍋ひとつとってみても、食べ物としてだけではなく、解剖学の対象として考え、盛り上がる。自分の研究対象について興味が尽きない。対象はカエルやウシだけではなく、ミトコンドリアや細胞核まで行き着く。

小腸は脳の指令を受けず、独自に働くというコメントが興味深い。確かに眠ったら心臓が止まるとか、栄養の吸収をしなくなる、などという話は聞いたことがない。脳から独立した「小さな脳」と呼ばれるそうな。

学者としてお世話になった恩師についての項は、師匠のあり方について考える際に興味深い。学生をほとんど放任していた人。こまめに様子を聞き、指示を出し、面倒を見た人。さまざまなタイプがいることを知ることができる。どちらも筆者にとって大きな存在であったことは間違いない。最近では後者のほうが評価されるだろうが。

いまどきの研究室とは異なる風景が展開されているかもしれない。これも「古きよき時代」という一言で片付けてしまってよいものか。ある学者のエッセイ集から、学問とは何か。研究のあり方とはなにか、など読者の関心に応じて何かを感じ取って欲しい。冒頭のエッセイに目をくらまされることなく、読み進めていただきたい本です。(☆☆)

2009年6月14日 (日)

夜は短し 歩けよ乙女

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫) 夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

著者:森見 登美彦
販売元:角川グループパブリッシング
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どこか古風で、抜けていながらも心優しい主人公、黒髪の女性。彼女に恋をしつつ、周囲でドタバタと動き回る”先輩”。三階建電車なるものに乗り(住み?)、金貸しやさまざまな悪徳をしつつも実は心豊かな李白老人。春から冬にかけて、友人の結婚式、夏の古本市、秋の学園祭、そして冬の風邪騒動と、さまざまなイベントの中で、主人公をはじめとした登場人物たちが、ところ狭しと駆け回る。偏屈王や象の尻、天狗、古本市の神様、、、。

登場人物には事欠きません。それぞれにとんでもない個性を持っています。さらに彼らがさまざまなところで接点を持ちつつ、最後の結末に向かって話しが突き進む。なんとも不思議な世界が展開されます。これは夢か現実か? 読んでいるうちに、きっと頭の中で登場人物が姿形を持ち、生き生きと動き出すに違いありません。頭休めといいますか、頭ほぐしにいかがでしょう?久々に楽しい本を読みました。(☆☆)

2009年6月10日 (水)

本を読む人 - 愛を読む人 原作

朗読者 (新潮文庫) 朗読者 (新潮文庫)

著者:ベルンハルト シュリンク
販売元:新潮社
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機会あって、「愛を読む人」という映画を見ました。自分が文字を読めないことを恥じ、それを人に悟られまいとしているハンナ。そのために昇進の機会を逃し、収容所の看視人となり、戦争中の1件をもって裁判にかけられてしまう。その中でも、「文字が読めない」ことを言いたくなかったがために、自分が書いてもいない供述書の筆者である、と認め、他の被告の罪までもかぶってしまうハンナ。

タイトルの朗読者は、そんなハンナがまだ車掌をしていたころに知り合い、愛し合ったミヒャエルの視点から、愛と哀悼の想いをこめて描かれています。

囚人としては模範囚として、毅然とした生活をするハンナ。ミヒャエルの朗読テープから文字を必死になって学ぶハンナ。戦争犯罪について学ぶハンナ。釈放の朝に自殺してしまうハンナ。ハンナという個人を通して描きたかったものは何でしょう? いまだに癒えない戦争犯罪に対する心の傷跡。必ずしも正義が実現されたとは限らない法廷の姿と限界。戦争中、戦後と常に何かに煽り立てられたように熱狂する人々。その中で押しつぶされていく個人としての立場や感情。

戦争から私たちは何を学んだのでしょうか。それを改めて正面から問われたように思います。本は1995年の本です。行間にさまざまな感情が埋め込まれているようで、何度か読み直したほうが、味わいが深くなります。また、映画では微妙に新たなエピソードが加えられていますが、本書の味わいを妨げることはないでしょう。ぜひ映画も合わせてご覧ください。(☆☆☆)

2009年6月 7日 (日)

国籍と民族

あの戦争から遠く離れて―私につながる歴史をたどる旅 あの戦争から遠く離れて―私につながる歴史をたどる旅

著者:城戸久枝
販売元:情報センター出版局
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戦後60年を経ても続く中国と日本の間で続く感情的な言葉のやり取り。国家同士・国民同士としてはなく、いち個人としてみたときには、それとはまったく別の局面が見えてくることがあります。

終戦時の混乱により中国へ残ることを余儀なくされた日本人。中国人として育てられつつも、時として「日本鬼子」として蔑まれ、邪険な扱いを受ける。一方で日本に戻ると、他の日本人とは違うとして、これまた邪険な扱いを受ける。いったい民族としての中国人・日本人とは何なのか。国民としての中国人・日本人は何なのか。そんな疑問を湧き起こさせる本です。

”中国残留孤児”という言葉が大きく取り上げられるようになったのは確か1980年代だったと記憶しています。それよりもはるか前に、1970年代に日本に戻ってきた人がいたことを、不勉強にして知りませんでした。そのような環境の中で日本に戻ろうと決意するには、そして実際に戻ってくるには想像しつくせない苦労があったはず。それとともに、今でも中国に行くと「友人」として暖かく迎えてくれる人たち。その関係の中には信頼関係と友情が織り込まれています。

この本を読み、あらためて国家と個人の関係を考えるきっかけとなりました。(☆☆)

2009年6月 3日 (水)

インド式インテリジェンス

「インド式」インテリジェンス-教育・ビジネス・政治を輝かせる多彩性の力 (祥伝社新書141) 「インド式」インテリジェンス-教育・ビジネス・政治を輝かせる多彩性の力 (祥伝社新書141)

著者:須田 アルナローラ
販売元:祥伝社
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インドでは他の人と異なる面を持っていること、が評価される。ひとつの国の中に22の言語があり、文化があり、民族、宗教がある。このような世界では他の人と異なることは当たり前だ。「多彩性のなかに一体感がある」。多彩性を認めるだけではなく、その中で共通点を探り出す。その能力こそがインド式インテリジェンスの核である。

インドでは22の言語はすべて同格である。そのため異なる言語を背景とする男女が結婚すると、お互いに相手の親族と会話をするために、相手側の言語を学ぶのが当然とされる。結果としてバイリンガル・トリリンガルは当たり前。そのような環境で育つ子供も、当然のこととしてその環境のなかで多くの言葉を学んでいく。

インドの教育では、覚えることは当然とされる。日本のように意味のない「語呂合わせ」などは用いない。意味のない語呂合わせを用いるよりも、そのものを覚えることのほうがよっぽど意味があると考えるし、現実問題、そのとおりだろう。それらの記憶があるからこそ、ディベートなどの基礎となる学力が身につくのだ。

日本では何事も完璧であることがよしとされるが、インドでは違う。完璧であるためには相当のコストがかかる。それによって得られる効果と費用は常に意識される。インドにおいては、日本人が求めるような、「すべて均質な仕上がり」を求めることは無意味だと考えられているのだ。常に全体として何を達成する必要があるのか、を意識するインドにおいて、到達目標を明確に打ち出し、それがなぜ必要かを理解させることはとても大切である。

インド人は付き合いにくいという人たちがいるが、日本人のように人つきあいを大切にする人たちでもある。インド人だから、といって自分たちと違うと思わずに、胸襟を開いて付き合ってみることで、近しい感覚を抱くことができると思う。

☆☆☆--日本人が書いたインドについての本はたくさん読みましたが、インドの方が書いた本は初めて読みました。日本人の夫を持ち、日本企業で務めた経験もある筆者。インドを見つめる新たな視点を得ることができます。インドに関わるすべての人に。

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