音楽を考える・語る - 音楽の聴き方
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音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書) 著者:岡田 暁生 |
大多数の人にとって音楽を聴く最大の喜びは、他の人と体験を共有し、心を通わせ合うことにあると私は信じている。自由闊達に語り合えればそれだけ音楽は楽しい。この意味で聴く喜びはかなりの程度で、語り合える喜びに比例する。聴くことと語り合うことが一体となってこそ音楽の喜びは生まれるのだ。
音楽を語る言葉は、努力によって磨くことができる。ここには確かな方法論が存在する。決して才能のたぐいの話ではないし、意思疎通ができないものではないし、好みは洗練させることができるものである。個々の体験を、互いに明瞭に関連付けることができれば感覚的な印象と言葉が知の体系として構築されていく。
芸術体験には相性の一面がある。この相性はいわば自分の中にある「内なる図書館」があり、これまでに読んだ本、読んだけれど忘れてしまった本、噂に聞いたことがある本、批評を読んだことのある本などについてのもろもろの記憶の断片が反応しているのである。この図書館は少しずつわれわれ自身が作り上げてきたものであり、切り離せないものである。そう考えると、これまでどういう本(音楽)に囲まれてきたか、どのような価値観をそこかれ植えつけられてきたか、どういうことを吹き込まれてきたか。相性とは、自分の「内なる図書館」の履歴によって規定されているのだ。
音楽を聴くとき、無意識に音の流れを区切って聴いているはずだ。音楽をどう区切り、どう抑揚をつけるかは、その国の言語と密接にかかわっている。つまり音楽にも「お国訛り」というものが存在しているというわけだ。その上、音楽は複数の文章が集まって段落となり、段落が集まって節になり、複数の節から章が作られるといった建築構造がとられており、一つの言語である。つまり音楽を聴きながらそれをきちんと言語として把握し、眼前で表象する能力が必要となってくるのだ。つまり、このような建築的な音楽の構造を学ぶことが音楽の聴き方を学ぶということである。
音楽には本来の文脈があり、伝承過程で形成されてきた文脈があり、別の文化に移植されることで加わる文脈がある。
有名な音楽家でも「駄作/駄演」はあり、「傑作/名演」として名高いものでも、隅から隅まで完璧に仕上がっているものはそうはない。
明らかにお粗末な音楽というものも、自分の価値観を形成していくうえで、とても貴重なものだ。両極端の経験を得て初めて、さまざまな陰影が見えてくるようになる。
☆☆ -- 音楽は好きですが、それをどのように他の人と分かち合ってよいかがわからない。音楽が大好きな人たちが熱心に語り合う中で途方に暮れた覚えがあります。音楽の楽しみには人と分かち合う喜びがある、という筆者の主張にはうなずきます。巻末 おわりに の部分で示唆に富む提言がたくさん示されていて、さらに参考文献も示されています。それを参考に学ぼう、と考えています。





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