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2009年10月 3日 (土)

あまりに不器用な生き方 - グラン・トリノ

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クリント・イーストウッド演じるウォルト。彼が長年保管している名車「グラン・トリノ」。気難しいがゆえに子供すらも近寄ろうとしなくなった、そんな老人の生活がある日を境に変化していく。隣に住むモン族の青年、タオが盗もうとしたからだ。タオは親類の悪党にそそのかされての犯行だったのだが、あっさりと失敗。その償い、としてウォルトの元で下働きをすることに。

ウォルトとタオの交流も見ものですが、ここに大きな影響を与えているタオの姉の存在も必見です。彼女に引っ張られる形で、ウォルトの心が少しずつ開かれていきます。それとともにタオの心も動いていくのです。

ウォルトが一人で乗り込んでいくシーンは感慨深いものがあります。ベトナム戦争時の自らの古傷を思い起こしながら、タオにそのような傷を持たせることのないように配慮した、心憎いばかりの演出。過去への贖罪、人生の重み、老人の知恵などが凝縮された1シーンです。

最後のタオがグラン・トリノをご機嫌で乗り回すシーンはなくてもよかったかな。少し違和感を覚えるラストシーンでしたが、それで全体の印象が崩れるものではありません。趣のある映画です。(☆☆)

2009年9月27日 (日)

ボクシングのシンデレラ -シンデレラマン

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発売日:2006/10/20
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実力を買われながらも故障に泣き、引退を余儀なくされたブラドック。妻と子供3人を抱え、電気代すら払えず電気の供給を止められてしまうような困窮状態。世界恐慌の中で仕事もなく、毎日職を求めて港湾に詰め掛ける。失業者向けの融資を受け、極貧状態の生活が続く中、ひとつのチャンスを得る。怪我をしたボクサーの代役として「一日だけの復活」試合が組まれたのだ。故障も治り、港湾労働者として働く中で力をつけた左を活用し、圧倒的な力を見せて勝利したブラドック。そこから再び彼の夢が始まるのだ。

細い糸を慎重に手繰り寄せるように、一試合、また一試合と勝ち上がるブラドック。ボクサーとしては老境に入る中で、ついに殺人者とも言われるチャンピオンと戦うことになる・・・。

1930年代の実際のボクサー、ジム・ブラドックをテーマにした映画。貧困の中でもあきらめず、ひたむきに頑張る。そんな姿に不況下で失業し、夢も希望も失いかけた人たちが一筋の明るさを見出し、ブラドックを応援する。生きることの意味を問いかけるような映画。ボクシングが好きでなくても、見る価値があると思います。(☆☆)

2009年6月10日 (水)

本を読む人 - 愛を読む人 原作

朗読者 (新潮文庫) 朗読者 (新潮文庫)

著者:ベルンハルト シュリンク
販売元:新潮社
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機会あって、「愛を読む人」という映画を見ました。自分が文字を読めないことを恥じ、それを人に悟られまいとしているハンナ。そのために昇進の機会を逃し、収容所の看視人となり、戦争中の1件をもって裁判にかけられてしまう。その中でも、「文字が読めない」ことを言いたくなかったがために、自分が書いてもいない供述書の筆者である、と認め、他の被告の罪までもかぶってしまうハンナ。

タイトルの朗読者は、そんなハンナがまだ車掌をしていたころに知り合い、愛し合ったミヒャエルの視点から、愛と哀悼の想いをこめて描かれています。

囚人としては模範囚として、毅然とした生活をするハンナ。ミヒャエルの朗読テープから文字を必死になって学ぶハンナ。戦争犯罪について学ぶハンナ。釈放の朝に自殺してしまうハンナ。ハンナという個人を通して描きたかったものは何でしょう? いまだに癒えない戦争犯罪に対する心の傷跡。必ずしも正義が実現されたとは限らない法廷の姿と限界。戦争中、戦後と常に何かに煽り立てられたように熱狂する人々。その中で押しつぶされていく個人としての立場や感情。

戦争から私たちは何を学んだのでしょうか。それを改めて正面から問われたように思います。本は1995年の本です。行間にさまざまな感情が埋め込まれているようで、何度か読み直したほうが、味わいが深くなります。また、映画では微妙に新たなエピソードが加えられていますが、本書の味わいを妨げることはないでしょう。ぜひ映画も合わせてご覧ください。(☆☆☆)

2006年9月 3日 (日)

ゲド戦記

ゲド戦記を観ました。

原作は読んでいませんが、深い世界観があることを想像させます。絵画もとても美しいです。

監督がこの映画で伝えたかったことはなんでしょうか。王子アレンが自分に向き合う物語の形をとっていますが、「光と影は同じものの表裏である」こと。具体的には、自分の影の部分(死や自分の未熟さに対する恐怖心など)を見つめることがよりよく生きることにつながること、と受け取りました。これはJoyWowの阪本啓一さんが言う、「ペルソナ(Persona)とシャドウ(Shadow)」にも通じます。光が強いほど、陰の部分も強くなる。ただどちらも同じ人の違った側面でしかない、ということでしょう。

惜しいと思ったことが2つあります。

登場人物の表情、行動が抑制されていること。スタジオジブリの作品は、動きの描写はオーバーなことが多いです。現実にはないくらいのオーバーアクションが、映画の中ではかえって現実味を増す、という考え方だったと思います。ところが今回は全体的に抑制的で、その分、表情に乏しい、という印象を受けました。現実的であるがためにかえって表現力を弱めてしまったようです。もうひとつは映画としての「まとまり」です。真(まこと)の名、黄泉の国の扉、テルーが龍に化ける。人々が心を失っていく、など。興味深い内容がたくさん盛り込まれているのですが、これらの要素が多すぎて、かえって散漫な印象となりました。物語を結末に導く力ではなく、遠心力として働いたように思えたのです。もう少し焦点を絞ったほうがすっきりとした印象になったと思います。

映画としては、及第点だし、美しい映画でしょう。ただ、2時間という制約の中では欲張りすぎた、と感じます。また宮崎駿さんの手によるゲド戦記を観る可能性がとても低くなった、ということが一番残念です。

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